視点を変えると…

なんだかんだと落ち着かず…

従妹を看取ってから
3週間が経つことに
気付きました。

長いような短いような…
そんな3週間。

その間に無事に葬儀を終え、
近しい家族の見守る中
心をこめて見送ることが
できた安堵感。

…と、同時に
寂しさと気だるさが混じった
空虚な感覚を覚えます。

 

看病や葬儀の準備を含め、

俗に言う
“大変なことの数々”でも

その作業を家族で取り組むこと自体が

患者や故人に対し
家族からの愛情表現に等しい
作業であるので

それを“しないでいい”
今の状況は、
愛情の一部を
喪失したような
空虚な感じがしています。

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今回の葬儀は
子が親よりも先に逝く

逆縁(ぎゃくえん)
という形だったのですが

 

看病の途中、
“治る見込みがなく最期が近い”

ことが明白になった時

叔母がポツリと
私に向かって言いました。

 

『なんで…
私より先にこんなことに』

 

…当然、
年齢の順で考えれば

母親→娘

の順に
寿命を迎えるのが
通常です。

 

『そうだよね』

 

と、言葉通りに気持ちを
噛みしめるのと同時に

 

15年前に母親を亡くした
私にとっては
何となく
羨ましいような気持ちが
湧きました。

 

『でも、自分の命の危機に
母親がそばで
見守って
貰えるってどれほど心強いか…
ありがたいことだよ。』

 

『今、子供が味わっている
苦しみと、
生き続けるならこれ以降
味わうはずの悲しみを
親が全て引き受けるって、
それは立派なことだよ。』

 

それを聞いて叔母は
『そうよね』
と表情を和らげてくれました。

…恐らく
強烈な悲しみの中にも
何らかの意義を少しでも
見い出すことができれば

悲しみからの
回復過程においても
少しの役に立てるに違いない。

 

話し相手になれてよかった…

永久に答えが出ない問いだけど

一緒に向き合えてよかった。

 

子供を先に見送る
母親の気持ちなど

当の本人しか
分かる筈が無いのだけれど…

 

適当な言葉で簡単に
切り抜けたりせず

『私はこう思う』

と飾らず
率直に、
私自身の思うところを
お伝えする。 

 

重たい空間と時間を
ただ
共有する有り様。

 

かける言葉は見つからないけれど
もしかける言葉があるとしたら

こういう振る舞いの全てが
それに当たるのではないかと

ふと、思いました。

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