心から共感いたします。でも同情はしません。

ヒトが人として

ひとつの生き物として

生きている限り

必ず訪れる命の終わり。

 

自分の死を迎える前に

何人かの他人の死を見つめる

ことになる。

 

始まりがあれば

終りがある。

“生まれる”と

“亡くなる”も同じこと。

 

頭で分かっては

いるのだけれど

ヒトの生き死には

何かのイベントの始まりと終わり

などとは比較にならないくらい

 

喪失感

空虚感

後悔

怒り

絶望感

 

その他いろいろな感情が

混じり合って塊になったような

強烈なインパクト。

 

特に心の距離が

近い存在の死は

その死の悲しみで

自分の命の一部が死んでしまった

ようにさえ感じる。

 

その辛さ、悲しみ…

心から共感はいたします。

 

 

しかし…同情はしません。

 

“可哀想”と同情することで

可哀想と、決めつけることに

なるからです。

 

ヒトの死と言うのは

決して特別なことでなく。

悲劇でもなく

 

ヒトが人として生まれたからには

必ず通過する体験です。

当たり前のことです。

 

悲しいけれど

受け入れなければならないこと。

“ご不幸なできごと”と言われるけれど

実は不幸ではない。

 

当たり前のこと。

 

悲しみの向こうまで

とりあえず進んで行こう…

受け入られる自分を創るために。

 

そして振り返ると気付く。

ひと周り“人生観の器”が

 

大きくなった自分に。