祈る心

私はグリーフカウンセリングの仕事の傍ら、

総合病院の眼科で視能訓練士の仕事をしています。

 

写真は職場の総合病院の裏手に神社があることに気付き

先日の勤務の帰りにお参りをしました。

 

手子神社 

http://www.yokohama-kanazawakanko.com/spot/institution/tera/tera021.html

 

何をお参りしたかというと…

 

『ご挨拶が遅れて申し訳ありません』

 

『この地にお招き下さりありがとうございます。

仕事を通じこの地域に方々の健康に

貢献することをお約束します。』

 

これだけです。

 

私は知らない又は初めての場所を歩いている時

神社やお寺を見つけるたび、時間があれば

お参りをします。

 

しかし、決まって神様の前に行くと

頭が真っ白になり 

『ありがとうございます』的なことと

『これからどうぞ宜しくお願いします』的なこと…

この二つしか浮かばなくなります。

 

…計画的とか具体的なビジョンを描くのが

苦手なタイプだからなのでしょう。たぶん。

 

計画とか具体性とかあまりに事細かに持つことを

実は私自身、放棄しているからだと思います。

 

親を連続で亡くし…

人の人生や死の周辺のことを考えるようになり…

その後の人生観が大きく書き変わったからです。

 

無理なものは無理。

与えられるものは受け入れるしかない…

与えられる中で必要なものを見つけ流れに乗る。

 

不快なものや極度な無理を伴うものは

もともと自分の手におさまるものではない。

 

出会った人、一定時間を共にする人

それぞれを触れ合う時間内において

最大限 ”大切に扱うこと”

 

そんなことを思いながら40代の今を生きています。

 

掲載した写真3枚のうち右側のものは

神社敷地の外側、道路に面した所に

ずらっと一列に 小さなお地蔵さんというか

神様の像が並んでいて

そのいずれにも小さなお供え物が見受けられ

”常にだれかがお参りしている形跡”があるのです。

 

私がこの神社を参拝している時も

Tシャツ短パンの普段着で自転車に乗ったオジサマが

自転車を降りて、境内に向かって

深々と頭を下げていらっしゃいました。

 

『…この地域は日常に信仰心が根付いているんだな…』

と感じました。

 

日常から

” 目に見えない何か ” を大切に思う心…

この部分が活性化していると人はそれだけで

他人に頼らず 心のセルフケアができていることに

等しいと思います。

 

 見えない何か = 自分の気持ち 

        = 他人の気持ち

        = 置かれている環境の”気”

        = 亡くなった方への想い

 

これを感じる感度が低下もしくは退化していると

人からの想いやりを受け取ることができなかったり…

自分の感情との対話が難しくなります。

 

五輪も決まり… お・も・て・な・し もイイですが

おもてなし以外にも少し前の日本人たちが持っていた

目に見えないものを大切に扱う感覚…

 

さぁみんなで思い出しましょうよ!